行動学会 MailNews (259) Septembert 5 2018 行動学会 MailNews は日本動物行動学会の会員向けに不定期に発行されるメール マガジンです。 ******************************************************************           CONTENTS * 書評 「オランウータン−森の哲人は子育ての達人」 ****************************************************************** * 書評 「オランウータン−森の哲人は子育ての達人」 書評 「オランウータン−森の哲人は子育ての達人」久世濃子 著  東京大学出版会 2018年7月発刊 ISBN-13: 978-4130633499 齋藤慈子(上智大学総合人間科学部心理学科)  オランウータンといえば、ほとんどの人が「大きな赤茶色の類人猿」であるこ とはイメージできると思う。しかし、多くの情報が発信されているチンパンジー に比べ、彼らがどのような生活を送っているのかについて、詳細を知っている人 は、意外と少ないのではないだろうか。評者も授業でオランウータンの生態、生 息地などの紹介を簡単にしているものの、本書を読むまでは知らなかったことが 多数あった。本書は、オランウータンを詳しく知りたい人たちのために、行動学、 遺伝学、内分泌学、古生物学、解剖学、音響学、地質学などのさまざまな分野の 最新の知見を動員して、「オランウータンがどんな生きものなのか、彼らの生態、 能力を明らかに」した、オランウータンの総説的な本となっている。それだけで なく、40代前半で2児の母である著者が、これまでどのような紆余曲折を経て、 現在までの研究者としての道のりを歩んできたのか、フィールド研究の苦労や醍 醐味も紹介された本となっている。研究者を志す学生、研究の道に進むべきか迷 っている人にも参考になる本といえる(この本を読んで、「私も!」となるか、 「私には…」となるかは人によりけりだと思われるが…)。  まず本筋ではないかもしれないが、著者の研究者としてのこれまでについて紹 介してみたい(評者は正直こちらもオランウータンの内容と同等に関心があっ た)。著者は40代前半という若さでオランウータンの総説的単著を執筆している ということから、若いころから研究者一本、オランウータン一筋で邁進しきたの ではないかと推察されるが、意外にも、実は最初から「研究者になろう」、「オ ランウータンが絶対研究したい」という志を持っていたわけではなかったようだ。 学部では違う研究をしていたし、修士や博士に進む段階で、その都度一般就職も 検討していたという。修士課程の研究室を選ぶ際に、訪問先の教員から何がした いのかと聞かれ、半ば思いつき(?)で「オランウータン!」と答えている。そ して「研究者に向いていないと今でも思う」とも書いている。  ここまで書くとそんな中途半端な心持ちで研究者になれるのか、と思われた方 もいるかもしれないが、以下に説明するように著者には研究者の才能が備わって いることは明らかである。まず、霊長類・類人猿の賢さが社会的知性仮説で説明 される中、その能力が群れの中で発揮される様子を見たくなるのが凡人であるが、 発想を転換して、あえて「群れで生活しないが、高度な知能をもつオランウータ ンは、『それぞれの個体が(なにを考えて)なにを選択したのか』がわかりやす い」からと、オランウータンに挑んだのである。これはなかなかの先見の明であ り、実際この挑戦が、後述するコドモの遊びの大切さなどの発見につながってい る。  さらに彼女の研究者の才能を見せつけてくれるのが、フィールド研究における 紆余曲折のくだりである。40代より若い多くの霊長類研究者は、先人がすでに切 り開いているフィールドに入って研究をすることが多いのではないだろうか。そ んな中、彼女はまずフィールドの開拓から始める。野生オランウータンを研究し ている日本人研究者がいなかったからである。彼女は英語とマレー語、インドネ シア語を駆使して、マレーシアの森でオランウータンが観察できる場所を探す。 オランウータンが観察しやすいかどうかという予備調査をするだけでなく、研究 を実施するにはどこで許可をとったらいいのかを調べるなど、語学力、交渉能力、 情報収集能力、忍耐力が要求される仕事である。さらにフィールドを開拓した後 には、オランウータンの調査に重要な、「優秀な調査助手」を育てなければなら ない。フィールドワークとは、本当にさまざまな面でマネージメント力が必要と される仕事である。本学会員のフィールドワーカーのみなさんにとっては当然の ことかもしれないが、“お座敷研究者(飼育下動物の研究者)”からすると、ク ラクラするような仕事量・内容である。さらに、評者は筆者と同年代で同じく2 児を育てているが、子育てをしながらの研究が大変であることを身に染みて感じ ている。そのような中でも、一つの対象にのめりこんで探究する姿勢、先述のフ ィールドワークの多様な仕事をこなす能力、オランウータンの基礎研究の資金を 集めるためにクラウドファンディングに挑戦するなどの行動力を著者がもってい ることは本書から明らかであり、著者が研究者としての素質・才能を十分に備え ているのは間違いないと感じた。  さて、本題であるオランウータンの詳細について、次に紹介していきたい。導 入的な内容の第1章、第2章の後に、第3章において、その生息環境、食性、移動 などについて紹介がなされている。評者は、オランウータンが果実食であること はもちろん知っていたが、アジアの森には、一斉結実という数百種の樹木が一斉 に結実する現象があり、彼らが、アフリカに比べ果実生産量の変動規模が大きく、 果実欠乏期間が長い環境に住んでいることは初めて知った。そのような食糧の変 動に耐えるため、オランウータンは果実が豊富なときに食いだめでき、カロリー 消費が少ない「メタボ体質」、節約型の代謝特性をもつらしい。また一斉結実に より果実が非常に豊富になると、単独性だとばかり思っていたオランウータンが、 集合性を見せるということも驚きであった。やはり類人猿、といえるのだろうか。 森林の構造も複雑で、大きな体で移動するには過酷なようで、著者曰く、「オラ ンウータンの高い知性は『次の一歩が死への一歩』につながりかねない、樹上と いう厳しい環境で生き抜くために獲得してきた能力ではないか」というほどであ る。  続く第4章では、社会性についての解説がなされる。単独性イコール社会性は ほとんどないのでは、と思いきやそんなことはなく、先述のように、果実が豊富 な時期には10頭ほどのグループで行動することもあるようだ。また、ワカモノは 食物が豊富か否かにかかわらず、2、3頭で連れだって行動することもあるそうで ある。社会としては、母系(少なくとも非父系)社会で、雄は出生地から移動を する。雄には性成熟後、明らかに区別できる二つのタイプがいる、つまり「二型 成熟」である。顔の両側の張り出し、大きな喉袋、臭腺などの特徴といった二次 性徴が発達した雄が「フランジ雄」、そういった特徴を持たないのが「アンフラ ンジ雄」である。二型成熟自体は比較的有名かもしれないが、アンフランジから フランジに「変身」する要因や、それぞれが異なる繁殖戦略をとっていることな ども、詳細に説明がなされており、興味深かった。さらに果実が豊富なスマトラ 島のほうがボルネオ島より植生が多様で、道具使用などの文化的行動も見られる という。食物が豊富で個体群密度が高いほうが、他個体と遭遇しやすく、文化的 行動の伝播が起こりやすいからだという指摘があるそうである。エサの分布が社 会性を左右し、動物の行動が変わるというよい例といえる。このような事実も、 著者が発想の転換で予測したように、社会性が低いからこそ、より明らかとなっ たものではないだろうか。  第5章では、オランウータンの子育てについて述べられる。オランウータンの 子育ては「究極の孤育て」だという。上の子がそばにいることはあっても、大人 の個体は周囲にいない中、子が自力で移動し、食物に関する知識、技能を習得し て独立する6〜7歳まで、母親が単独で子どもを育てていくのである。出産間隔は 7.5年、ヒトの2〜3倍である。かつ乳幼児の死亡率が低く、15歳まで生存できる 確率が94%だという。「現代人並みの少産少死社会」で、長きにわたり母親が一 緒に過ごして子の生存をサポートする。一つ意外であったのが、雄による子殺し が見られない、という事実であった。出産間隔の長いオランウータンの雌に早く 発情してもらうには、雄にとって一見子殺しは適応的な行動のように思われるが、 そうではないようである。その説明として、オランウータンが単独性であるため、 子殺しをしても排卵再開後の雌と子殺しした雄が再会して交尾ができないからと いう説明がなされているが、この説明が正しいとすれば、孤育てが子どもを守る ことにつながっているということになるのだろうか。  そんな孤独な子育てでも、コドモはやはり母親以外の個体との関わりの中でし か社会性を発達させられないからか、母親は自分がコストを払っても(摂食を犠 牲にしても)、コドモが他個体と遊ぶ時間を確保しているらしい。いかにコドモ 同士の遊びが大切であるかがわかる。常に群れで生活をしている霊長類では、コ ドモ同士の関わりは自然に起こっているのか積極的にその場が設けられているの かわからないので、これもやはり、著者の発想の転換、社会性がより低い、単独 性のオランウータンだからこそ、明らかとなった事実である。私は、この事実は、 そもそも共同繁殖種といわれるヒトが、母子密着・密室で子育てするのは、母親 のストレスという面においてだけでなく(オランウータン母子の場合は、ヒトか らの給餌により個体密度が上がり、他個体と会いすぎるとストレスになるらしい が)、子どもの社会性発達のためにもよろしくないことを示唆すると考えた。ヒ トを知るには他種との比較ということはよく言われるが、まさにオランウータン の子育てからヒトの子育てのヒントをもらえたといえる。  最後に「オランウータンの現状と未来」として、絶滅の危機や保全に関する内 容がまとめられているが、著者自身も「おわりに」で記しているように、あくま で著者らの目的は基礎研究であり、保全の重要性を認めつつも、保全に関する記 述内容は十分ではないとされている。それでも全くの素人からすれば、森林伐採 の根源、密猟の影響、地域の人々との軋轢など、新しく知る事実であり、ここま でに詳しく学んできたオランウータンのことを思うと、いろいろと考えさせられ た。  ざっと内容を紹介してきたが、一つだけ期待を少し裏切られた点をあげると、 個別のオランウータンのエピソードが豊富には記されていなかった、という点で ある。もちろん個体名をあげてのエピソードがところどころで紹介されていたが、 フィールドに出る体力・時間・気力はないけれども、動物が好きな私(のような 人)は、動物の生の姿に飢えている(と思う)ので、「はじめに」でリストアッ プされているオランウータンの個体が頻繁に登場し、彼らの個性を感じるような さまざまなエピソードがもっと読めたらよかったと感じた。  長距離にわたって分散・移動する「フランジ雄」の生涯を野生下で追うことは 難しく、彼らが60年という長い一生をどのように送るのかは、未だ謎だそうであ る。著者が生きている間に解明されないかもしれないというほどなので、望みは 薄いかもしれないが、10年か20年後、私が生きているうちに第2版が出て、オラ ンウータンに関する新たな知見を提供してもらえることを期待している。 ****** end of Japan Ethological Society MailNews (259) **********